小泉純一郎が、慶応大学の学生だったころに、女子大生を強姦しようとして神奈川県警逗子警察署I警部(当時)につかまり、そのときに、彼がなんと言ったかというと、「僕の父親は、防衛庁長官だぞ。早く連絡しろ」だったそうである。さらに押収した写真から強姦した女性の性器を撮した物が見つかった。 この事件のことは、地元・横須賀の市会議員たちの間ではよく知られている話だ。
小泉元首相の実家は、「小泉組」という曾祖父が作ったヤクザ組織。背中に龍、全身に刺青をしていたことで知られる祖父又次郎は、国会議員になる前に小泉組の3代目を継がされました。当時、現在の稲川会の母体である横須賀一家と小泉組の間に抗争があり、二代目の長男が殺されたためです。当時、又次郎は、上野のあたりで職を転々として、家出状態。今でいうフリーターでした。それを跡取りがいなくなった曾祖父が連れ戻し、「堅気の商売ができなように」と手下に又二郎を押さえこせて全身に刺青を掘ったという逸話が「小泉又次郎伝」に記されています。小泉家では、なぜか三代目を襲名したあとの又次郎は、「長男」として扱われました。名前に「次」を入れた通り次男であったことは、「小泉又次郎伝」にも書かれていますが、衆議院議員になってからの公的な資料では、又次郎は「長男」という届け出になっています。なぜなのか、調べました。小泉家の関係者の証言によると、二代目の長男の名前は死亡とともに戸籍から消され、又次郎を長男に繰り上げる更生手続きがとられたのだといいます。つまり、ヤクザの抗争に敗れて死んだ長男は、小泉家の歴史から消されたのです。小泉家の菩提寺を隅から隅まで探しても、長男の墓はありませんでした。どらえもんは、横須賀とかつて小泉家があった横浜市金沢区を歩き回って、関係者を取材しましたが、「長男」の名前すら誰も口にしようとしませんでした。それだけ、「小泉組二代目」のことは、タブーになっているということです。
○婦女暴行事件を1967年4月に起こした直後に、小泉純一郎は、
精神病院で有名な都立松沢病院に入院。(状況からして強制措置としての強制入院であったと思われる。) 診断名は、精神分裂病であった。2ヶ月間入院。つまり1967年4月から6月まで入院して退院。その後、7月7日
に羽田を出発。ロンドンに留学という名目で日本を離れている。精神病院の都立松沢病院に精神分裂病で19 67年4月から6月まで入院歴がある。
そして、さらに驚くべき証言がある。小泉の離婚原因についてのものである。 小泉は、1978年に前妻と結婚。長男、」次男を授かり、はた目には幸福そうに見えた。しかし4年後、離婚に踏み切る。 当時、前妻は、妊娠3ヶ月で、三男を宿していたにも拘わらず、である。いくら姉に「政治の方が大事よ」と言われようが、妊娠中の妻に離婚届を突き出す法はないだろう。 三男は以前からたびたびメディアに登場し、「父と会いたい」と発言しているが、小泉は決して会おうとしない。堪りかねた三男が事務所に電話した際、信子が「血のつながりはあるけど、親子関係はない」とつき放したというのは有名な話だ。その点に
関して首相周辺関係者はこう説明する。「前の奥さんと息子さんが出てきちゃ困るんですよ。なぜなら、彼女は純一郎の実弟と秘密関係にあったのである。2人のただならぬ関係が純一郎に知れてしまい、それが離婚のきっかけになったと…横須賀市の関係者の間では知られた話です」
新橋芸者小はんは、小泉純一郎の愛人であった。 彼女は突然、何の前触れもなく変死をしている。 小はんの本名は奥貫浩美。31歳。 死体となって発見されたのは、1992年5月12日(水曜日)午後3時頃。場所は、東京都港区三田の彼女の豪華マンション。第一発見者は、彼女の母親の奥貫和子。
9日の土曜日は、小はんは、東おどりの練習に参加。ところが、週明けの月曜日には出てこない。 心配して、千葉にいる彼女の母親に12日火曜日になって、置屋のほうから
連絡が行き、合鍵で部屋にはいった母親が、変死している彼女を発見。死亡推定時刻は、10日の日曜日。このときに誰かとあっていたのだろうか? 日曜日は国会が休みである。このときに、ちょうど、政治改革関連で、自民党は
とてもすごいストレスにさらされていた。三田署によると、「洋服姿で部屋のドアのふちに、着物の細い帯がかけてあった。」
<男も嫌いだし、結婚もしたくなかったのが真相>
○母親の奥貫和子さんによると、小はんこと浩美さんは、
いつも「男は嫌い。結婚もしたくないし、子供もいらない」と言っていたという。
○ 遺書は存在していない。
○ 当時、小はんは何も悩んでおらず、自殺する動機は存在していなかった。明るかった。
○ 写真を見ると屈託のない笑顔で、いわゆる自殺するタイプとはまるで違う。
○ 母親の奥貫和子さんは、「死因は自殺ではない」と明言している。
○ 走り書きの「つかれました。ごめんなさい」という紙はあったが、
母親は「自殺ではありません」と明言している。
ということは、母親は、その走り書きをみて、「娘の筆体ではない、偽造されている」
とわかったのではないだろうか?
小はんの死因について母親にきいても、無言を通している。
○親しい知人には、「実は小泉さんとの付き合いが原因だった」と言っている。
<小泉の愛人であった小はん>
彼女の親戚の話によると、小はんが、三田のマンションを買ったときには、小泉からお金を出してもらい、月々のお手当ても小泉からもらっていた。 夏や冬には、100万円をボーナスとしてもらっている。
東おどりというおどりのときに、100万円。茶ダンスと食卓セットを小泉から購入してもらっている。 ちなみに、この港区三田というのは、小泉の母校の慶応大学に近い場所である。 」
<検死のしにくい腐敗状態>
死亡推定時刻の10日から、発見の12日までかなり日数がたっているため、死体は腐敗をしていたと考えられる。首の皮などは、腐敗して見分けがつきにくい状態であったはずである。そのため検死はしにくいはずである。
<自殺と安易に推定される根拠>
自殺を思わせる走り書きが存在しており、かつ、殺されたときに、抵抗したような傷 や、首に思いっきりしめたような跡がついていなければ、これは、自殺と判断される。問題ない自殺であるとされる。
検死によって死因を判定する。 死因特定されると、死体検案書を発行する。 これは病死の場合の死亡診断書に該当するものだ。これが発行されてはじめて葬儀ができることになる。
<小はんは、検死で自殺と判断されているため、解剖をしていない>
検死段階で死因がわからないときに死体を解剖にまわす。 状況からは死因が自殺ではないかと思われる死体でも、傷がたくさんあったりすると、誰かと争ったためにできたものではないかと疑われ、解剖されることになる。
ところが、盲点がある。愛し合いながら、首をしめられていれば、
外の傷は生じないため、他殺とは思われないはずである。
解剖には2種類ある。 犯罪の疑いのない死体の死因を特定するための「行政解剖」と他殺などの事件性のある場合の「司法解剖」である。
自殺の場合は、基本的には、行政解剖である。
<自殺を装った殺人で東京23区内でも年間5体から6体は発生する。>
しかし、元東京都監察医務院長の上野雅彦氏によると、「行政解剖」として運び込まれてきたにもかかわらず、解剖によって実は殺されていたと判明するものが東京23区内だけでも年間5体から6体あるという。
<たったの3分で致命的な影響>
なぜ、脳への血流がストップすると、3分から4分で大脳皮質が障害をうけて続いて7分で脳幹もダメージを受ける。つまり脳死状態になる。
ほかの臓器の細胞と違い、脳細胞は、一度ダメージを受けたら、二度と再生しない。 一般に首はしめられると、頚動脈を圧迫する。頚動脈は3キロから7キログラム、10秒間で気をうしなってしまう。
<偽装自殺を見破る方法の必要性>
絞め殺した後に、自殺を装う偽装自殺。この偽装自殺に関する報告は意外に多い。小はんは、死後48時間から60時間たっていたと思われる。それだけたてば、死体は腐敗しており、腐敗ガスのため、頭、首、肩、顔は、膨らんでいたように見えたはずである。腐敗ガスによる膨張は、身内が見てもわからないくらいに容貌が激しく変化する。
再現フィルム
小はんと、やせた男は愛の行為をしていた。やせた男は、小はんとは愛人関係であり、SMが趣味であった。愛の行為をするときに相手の首をしめながらやるくせをもっていた。そのやせた男は、日ごろのストレスから、いつもより多めに彼女の首を絞めてしまった。すると小はんはあろうことか気を失い、そしてそのまま死んでしまった。仰天したやせた男は、まだ当時では珍しかった携帯電話を使い、太った男を呼び寄せ
た。太った男は、三田のマンションに午前3時ごろについた。そして驚いた。
「まずい、いくらなんでも相手を殺してしまっては。これはいままでの例とはわけが違う」目の前が真っ暗になった。しかし、気を取り直した太った男は、「何とかしなくてはならん」 と思った。まず、これは、自殺にみせかける以外にはない。鉛筆で走り書きをした。走り書きなら、筆跡がばれにくい。
「つかれました。ごめんなさい」
と書いた。そして、自殺に見せかける首吊りようのひもを探したが、そういったひもは無かった。そのまま外に買いにいっては怪しまれる。
「しかたがない。着物用のほそいひもをかけておこう。不自然だがやむをえない」
しかし、また、ひもをかけるのに、ちょうどいい首吊り用の場所というのもその部屋には無かった。
「仕方が無い。ドアのへりに、首吊り用のひもをかけておこう。不自然だが、仕方が無い」 それで偽装は完了した。
夜、午前3時をすぎて、その部屋をそっと出て行こうとしていたときに、ふと、大変大事なことに気づいた太った男は、「まずい」と心臓が止まったように感じた。それは彼女のテーブルの上に、そのやせ男と一緒の写真が写真スタンドにあったからだ。
「こんなものが見つかったら、マスコミに騒がれる。」
早速、太った男は、そっと、そのやせ男の写っている写真を写真スタンドから取り外した。そして、あせった彼は、何でもいいと思い、彼女のアルバムの中から、彼女の水着の写真を取り出して、その写真スタンドにいれた。 ところで、彼女は、ぽっちゃり系の美人である。
その彼女が、水着姿の自分の姿を、写真スタンドにいれるわけがない。通常、女性というのは、どんなに自信があったとしても、自分の水着姿でいるところを写真スタンドには、いれない。
そして、そっと、やせた男と、太った男はそっと、マンションを非常階段を使って誰にもあわないように降りた。
エレベーターを使っては誰かにあう可能性があるからだった。
無事に、車まで戻り、そして、やせた男はいった。
「いやあ、助かった。ありがとう」
太った男はいった。「いや これからですな。勝負は。」
とにかく、月曜日、今日からなるべく遠くに行ってください。
岡山あたりがいいです。なるべく、彼女とは連絡のとりにくい地域がいいです。なぜかというと、東京にいると、日ごろ、彼女と連絡をとっているのに、なんで、いままで何日間も気づかなかったんだとかんぐられるからです。私から連絡がいくまで、岡山にでもいてください。」
日ごろ、まったく人の世話を焼かず、一歩も外にでないとされるやせ男はめずらしくそのときだけ「出張で」岡山に行っている。
12日の午後に彼女が母親によって死体発見されて、13日水曜日に、
そのやせ男にも連絡がいった。「小はんが死んでいます」
するとそのやせ男は、週刊誌のインタビューにこういった。
「夜の11時ごろかな。思わず、「えっうそだろう」ってびっくりした。」
そして14日金曜日に行われた葬儀は、出席しなかった。
やせた男は、彼女を愛していながら、首をしめすぎて偶然起こった事故死のように思っていた。太った男は、「14日の葬儀に出るな、ばれる。お線香もあげにいくな」と引き止め 猛反対した。
それでやせ男は出席を断念した。しかし、後で、「どうしても弔問に行く」と聞かなかった。17日の日曜日に弔問をしている。
そして、位牌を前にしてお線香をあげると、やせた男は、位牌の前で泣いた。 香典を50万円持ってきて、49日と一周忌の法要は、自分が全部持ってやります」 といった。これについては、太った男が弁明した。
(マスコミ用に)
「私が弔問に行ったほうがいいといったんです。こういうことがあると、名前を伏せていったり、秘書が行ったりする人もいるが、そういうのはよくない。 誤解されるようなことは何もないから、堂々と行った。男女の関係がないから行けたんです。」
つまり隠していることを、「変死の原因」ではなく、「男女の関係」を隠しているように見せかけている。しかもこのやせた男は、男女の関係などを本来隠す人間ではないのだ。
そして、生前、小はんは、母親に、「まったく男なんて嫌い。結婚なんてしない」 と明言していたにもかかわらず、なぜか、その後、「結婚したかったのだが、かなわぬ恋としって自殺した」というつくり話がひろがっていった。 もっとも、最大のなぞは、死ぬまでは、小泉の写真がたてられていた写真たてに、 なぜか、彼女の水着姿の写真に死後入れ替えられているという事実である。
いったい誰が、この写真をかえたのだろうか?
(参考URL)
■記 者 倶 楽 部
(前略)「ロンドン留学はある個人的スキャンダルから逃れるためだった」(地元記者)
との指摘あり。(後略)
http://www.rondan.co.jp/html/kisha/0403/040323-5.html
(前略)小泉首相の「慶応大学在学中のレイプ事件」がマスコミ界を駆け巡っている。
(後略)
http://www.rondan.co.jp/html/kisha/0402/040224.html
■小泉首相が、慶応大学の学生だったころに、
女子大生を強姦しようとして警察につかまり、
そのときに、彼がなんと言ったかというと、
「僕の父親は、防衛庁長官だぞ。早く連絡しろ」だったそうである。
この事件のことは、地元・横須賀の市会議員たちの間ではよく知られている話だ。(
後略)
以上、「第496号」(2003.11.19)より一部抜粋
副島隆彦常葉学園大学助教授 副島国家戦略研究所(SNSI)主宰 http://www.soejima.to/
http://soejima.to/boyakif/index.html
■(前略)国際問題コメンテーター 藤原肇氏vs元フランス三井物産総支配人 小串正
三氏
<「小泉首相が30年前に起こした不祥事と留学経歴の真相」とは…。>
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/ohsugi.html
■(前略)小泉首相の暗い影を英米の諜報機関は握っている。
小泉首相の「ロンドン遊学」の真相は、ある女性に対するハレンチ行為が警察ざたに
なるのを恐れて、
父親の防衛庁長官(当時)が英国にほとぼりがさめるまでと逃がしたものらしい。(後略)
(ニューヨーク市立大教授霍見芳浩氏)
http://gendai.net/contents.asp?c=022&id=135
■「『小泉レイプ事件』は地元横須賀の市会議員の間では周知の事実」(木村愛二著)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku771.html
■仰天!小泉首相が「婦女暴行」で訴えられていた!(「FLASH」04.6.29)
http://www.zasshi.com/ZASSHI_SOKUHOU/data/flash.html
小泉純一郎婦女暴行逮捕歴損害賠償請求事件(まとめ)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/koizumi-rape.html
以上
http://www.jca.apc.org/~altmedka/koizumi-rape.html より援用
小泉実姉「信子」伝説…政策秘書、唯一の相談相手
真紀子も目の敵
ヤミ献金問題に端を発した政治とカネの問題が、小泉純一郎首相(62)周辺にも飛び火している。衆院予算委員会で、首相の実姉で政策秘書も務める小泉信子氏(66)が使用している高級車に関する疑惑が取り上げられ、野党3党が信子氏の証人喚問を求める事態に発展したのだ。信子氏は“首相の金庫番”“官邸の女帝”とも呼ばれるが、表舞台をにぎわす飯島勲秘書官(59)に比べると、その人物像はベールに包まれてきた。“大物秘書”の実像とは−。
【相談相手】
「ジュン! 真紀子さんを更迭すれば、支持率が30%は下がるわよ」
小泉首相が高支持率を誇っていた平成14年1月、当時の田中真紀子外相(60)の更迭問題で悩んでいた首相にこうクギを刺したのが、信子氏だといわれている。信子氏は首相を普段、「総理」と呼んでいるが、2人きりのときは弟のことを「ジュン」と呼ぶ。
真紀子更迭に踏み切った首相の支持率は、信子氏の忠告通り激減したが、側近議員をつくらない首相が唯一、政治判断の相談を寄せるのが信子氏なのだという。
真紀子氏はかつて講演で、信子氏についてこう話したことがある。
「彼(小泉首相)のお姉さんは私たちに弁当も出さず、彼だけには『はい、純ちゃん、お弁当よ、はい、お茶ね』ですから。一体あの人はどうなっているのでしょう」
首相の歌舞伎とオペラ好きは信子氏の影響との指摘もある。趣味だけではない。「靖国神社参拝、自衛隊のイラク派遣といった首相の政治判断にも信子氏の助言があったようです」(永田町関係者)
【金庫番】
信子氏が初めて永田町で注目されたのは、小泉首相の父、純也氏が防衛庁長官に就任した昭和39年。この際、女性初の大臣秘書官を務めたのが26歳の信子氏だった。
小泉純一郎首相も恐れる実姉・信子氏は、中国語のサイトでも「女皇」と評されている
父の死後、47年に4つ年下の弟である首相が衆院議員になって以来、30年以上にわたり秘書を続けてきた。首相が所属していた清和会(森派)の秘書会副会長も長年歴任し、結婚歴はない。
ショートカットのボブヘアの風貌から「クレオパトラ」とのあだ名もある。「小泉事務所の金庫番を長く務め、“官邸のラスプーチン”といわれる飯島秘書官も、信子氏だけには頭が上がらない」(自民党関係者)。一度もメディアの取材に応じたことのない信子氏のこうした情報は、半ば伝説も織り交ぜながら語られる。
【物干し台事件】
そんな「信子伝説」として語られる有名なエピソードの1つが「物干し台事件」。
一昨年秋。改装が進む新首相公邸の設計図を官邸関係者が信子氏のもとに届けた。説明を受けた信子氏は軒先の部分を指差し、「これでは私が洗濯物を干す場所がない」と指摘。すぐ設計変更が行われたという。
こうした数々の伝説に彩られ、首相の実姉は官邸の「女帝」といわれるようになっていく。
だが、女帝も今国会では野党追及のターゲットになりつつある。
「信子氏が日常的に使用する高級車(トヨタのセルシオ)は後援企業の名義になっており、寄付行為にあたる。だが、首相の政治収支報告書には記載が一切ない」(民主党議員)として問題視されているのだ。
著書『無情の宰相小泉純一郎』で小泉家の実像を追及しているジャーナリストの松田賢弥氏は「信子氏は角福戦争よりも以前から秘書を務め、清和会内の政治家でさえ、政治キャリアとして右に出るものはいない。ロンドン留学から帰国した首相の政界進出を後押ししたのも信子氏だし、首相の今日をつくった女性と言っても過言ではない。小泉政治を知る上で、信子氏の情報は公にされるべきだ」と話す。
野党側が信子氏の証人喚問を求めているのに対し、与党側は「週刊誌の情報の域を出ない」と拒否。政治家・小泉純一郎を作った女性の実像は、またも厚いベールに覆われてしまうのか。
ZAKZAK 2004/11/08
http://www.zakzak.co.jp/top/2004_11/t2004110818.html
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